その新作アルバム、「風街ろまん」は目黒にある黄色い塗装で有名だったモウリ・スタジオで行われた。ところがレコーディングの最終段階になっても、ぼくは
一つの曲をずっと完成できていなかった。作詞をした松本隆から渡されていた「風をあつめて」が未完成だったのだが、与えられた期間も差し迫り、ともかくレ
コーディングに入らざるを得ず、歌いながら作曲するという綱渡りをする羽目になった。その際、吉野さんによる的確なガイダンスが「風をあつめて」を完成に
導いてくれたのだ。歌の部分毎にパンチ・イン/アウトを鮮やかにこなす技術にプロの技を見せてくれたが、実際はぼくのだらしなさにかなり我慢をされていた
ように思う。しかしどんな非常事態にも冷静かつ俊敏に対応するのがプロなのだと教えらたものだ。
この時の吉野さんは自分のミキサーとし ての特徴を「中音域主義」と話していた。それはいわゆる「ドンシャリ」という、中域がカットされ高低域が増幅されていく時代に忘れられがちな音の品格のこ とだったと思う。その中域の美しさこそ、矢野顕子がピアノの音を録る時に、吉野さんを必要とする理由だ。しかし現在のデジタル音源が主流の時代、吉野さん の中域主義という自尊心は深く傷ついて来たであろうと想像する。
この時の吉野さんは自分のミキサーとし ての特徴を「中音域主義」と話していた。それはいわゆる「ドンシャリ」という、中域がカットされ高低域が増幅されていく時代に忘れられがちな音の品格のこ とだったと思う。その中域の美しさこそ、矢野顕子がピアノの音を録る時に、吉野さんを必要とする理由だ。しかし現在のデジタル音源が主流の時代、吉野さん の中域主義という自尊心は深く傷ついて来たであろうと想像する。